浅田政志×大阪府20世紀美術コレクション展 画家と家族のここだけの話
2026年7月25日(土)−9月6日(日)
10:30−18:00(最終日15:00まで)休館日:月曜日
入場無料
大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco] 1階 Room 4
浅田政志《画家と家族のここだけの話 須田剋太》2025年
写真家の浅田政志は、自らの家族を題材にした写真集『浅田家』で木村伊兵衛写真賞を受賞し、コマーシャル・フォトの世界で活躍するとともに、日本各地でアートプロジェクトや展覧会を行うなど、現在最も高く評価されている写真家のひとりです。このたび大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]では、浅田政志が一貫して自らの制作テーマとしてきた「家族」や「個人史」を、大阪府が収集した「大阪府20世紀美術コレクション」の作品と接続させることを試みる展覧会を開催します。
大阪府のコレクションの中心となっているのは戦後関西で活躍した美術作家による作品です。その中から須田剋太(1906~1990)、伊藤継郎(1907~1994)、齋藤眞成(1917~2019)、上前智祐(1920~2018)の4人の画家を取り上げ、いわゆる「表向き」の作家の姿ではなく、家族しか知りえなかった画家の横顔に写真家・浅田政志が迫ります。画家が過ごしたアトリエやゆかりのある場所を舞台に、家族との対話を重ねながら撮影された、ちょっとユニークな「家族写真」。浅田政志による家族写真の新しい展開を、画家たちの絵画作品とあわせてご覧ください。
大阪府20世紀美術コレクション作家:須田剋太/伊藤継郎/齋藤眞成/上前智祐
浅田政志《画家と家族のここだけの話 伊藤継郎》2026年
浅田政志《画家と家族のここだけの話 齋藤眞成》2025年
浅田政志《画家と家族のここだけの話 上前智祐》2025年
【プロフィール】
浅田政志 ASADA Masashi
写真家。1979年三重県生まれ。
家族写真集『浅田家』(赤々舎)で第34回木村伊兵衛写真賞受賞。日本各地の市井の人々を撮影するアートプロジェクトや写真の啓蒙活動に精力的に取り組む。
主な展覧会に「浅田政志 YOKOHAMA PHOTOGRAPH―わたし/わたしたちのいま―」(2023年、KAAT神奈川芸術劇場)、「ぎぼしうちに生まれまして。」(2022年、BAG-Brillia Art Gallery-)「私の家族」(2020年〜2021年、阪急うめだギャラリー、三菱地所アルティアム)、「浅田撮影局」(2020年、PARCO MUSEUM TOKYO)、「拡張するファッション展」(2014年、水戸芸術館)、「LOVE展」(2013年、森美術館)、「八戸レビュウ」(2011年、八戸市ポータルミュージアムはっち)、「記念日をつくる記念写真」(2011年、ミュゼふくおかカメラ館)、「Tsu Family Land 浅田政志写真展」(2010年、三重県立美術館)ほか。
『浅田家』、『NEW LIFE』(赤々舎)、『家族新聞』(幻冬舎)、『アルバムのチカラ』(赤々舎)など著書多数。
『浅田家』と『アルバムのチカラ』を原案とした映画『浅田家!』が2020年に公開された。
【会期中イベント】
浅田政志 アーティスト・トーク
アーティスト・トーク
日時:2026年7月25日(土)13:30-15:00
会場:2階 Room 8
定員:30名
参加費:無料
浅田政志さんが今回の展覧会について、撮影時のエピソードを交えながらお話しします。スペシャルゲストも登場するかも…?!
ワークショップ「わたしの一枚」
ワークショップ
日時:8月8日(土)①10:30-12:00 ②13:30-15:00
会場:2階 Room 8
定員:各回15名
参加費:2,000円(税・材料費込)
協力:キヤノンマーケティングジャパン株式会社
写真を撮るだけでなく、プリントしておくことの大切さについて浅田政志さんと考えるレクチャー・ワークショップ。お持ちのスマートフォンの中に数ある写真の中から一枚の写真を選び、プリントします。
◎イベントへのお申し込み方法
上記の2次元コードか以下のリンク先(Googleフォーム)よりお申し込みください(先着順)。
申し込み期間:7月7日(火) 10:00〜
お申し込みフォーム:7/25 浅田政志アーティスト・トーク
お申し込みフォーム:8/8 ワークショップ「私の一枚」
※フォームからの申し込みが難しい方は電話にて受付します(電話:06-6441-8050)
大阪府20世紀美術コレクション作家 プロフィール
須田剋太(すだ こくた、1906〜1990)
埼玉県吹上町(現・鴻巣市)出身。埼玉県立熊谷中学校(旧制)卒業後、浦和に在住し独学で絵を学ぶ。寺内萬治郎によって画家としての才能を見いだされ、官展への出品を勧められ、戦前から戦後にかけて、光風会、文展、新文展、日展に具象作品を出品し、特選を3度とるなどして画壇に認められる。
30代の半ばに京都・奈良などの伝統文化に憧れて関西に移り住み、東大寺・新薬師寺などをテーマに制作する。関西の文化人のあつまり「転石会」への出席などを通じての長谷川三郎との出会いと、長谷川によって示唆された道元の「正法眼蔵」に大きな影響を受け、官展と決別し国画会に移り、抽象絵画を描くようになる。「現代日本美術展」、「日本国際美術展」、「日米抽象美術展」のほか、1955年「世界・今日の美術展」、1956年「サンパウロ・ビエンナーレ」などへ出品し活躍する。
1971年からは司馬遼太郎が『週刊朝日』に連載する「街道をゆく」の連載挿絵を手がけ、国内外の風土と人間を須田独特のエネルギッシュな画風で表現した。1990年、大阪府は須田剋太氏より絵画作品2227点の寄贈を受けた。
伊藤継郎(いとう つぐろう、1907〜1994)
大阪生まれ。松原三五郎が主宰する天彩画塾や、赤松麟作の洋画塾に学ぶ。1930年芦屋に転居する。1931年鍋井克之の知遇を得て、信濃橋洋画研究所に通い始める。二科展、全関西洋画展、新美術家協会展に出品をしていたが、1941年、小磯良平、猪熊弦一郎らの誘いによって新制作派協会に転じ、会員となり出品を続けた。
1944年満州に出征し、終戦後にシベリア抑留を経験する。復員後の1948年、芦屋美術協会の創立に吉原治良らと参加。アトリエでは頻繁に研究会、デッサン会を開き、子供画塾をひらいて児童らの指導にあたった。1961年には鍋井克之の誘いで浪速短期大学、大阪芸術大学の教授となる。1965年には京都市立美術大学西洋画科の教授となり、戦後、関西洋画壇の指導者として活躍した。
実証的な観察に基づきながらも、グレー系の色調の厚塗り絵の具を用い、様式的な統一性が感じられる落ち着いた雰囲気の作品を中心に、晩年には絵の具をチューブから直接絞り出して描く明朗なモチーフの作品を描いた。1969年、芦屋市民文化賞受賞、1990年には兵庫県文化賞を受賞。大阪府は1993年、伊藤継郎氏より絵画・素描作品238点の寄贈を受けた。
齋藤眞成(さいとう しんじょう、1917〜2019)
京都の名刹・真正極楽寺真如堂 東陽院の僧侶。少年時代は南画家であった伯父(服部五老山人)の影響を受ける。龍谷大学在学時代より、文展の審査員であった太田喜二郎に師事するとともに、紫野洋画研究所で洋画を学ぶ。伊谷賢蔵の知遇を得て戦後は行動美術協会に所属して本格的な作品発表をはじめる。
1960年代半ばから1970年代にかけては自然に対する深い慈愛を表した作品、妖怪変化をあつかった作品、仏教説話を題材にしたものが多く、作風は叙情的な心象風景からしだいに欧米の現代美術の影響を受けた激しい筆触と厚塗りによる作風へと変化していく。1980年代には抽象化された色面構成による作品が目立ちはじめ、それまでの油彩、キャンバスの他にガッシュ、水墨、紙といった画材も使われるようになり、南画的な世界への接近がはかられるなど、東洋と西洋とが交錯した齋藤眞成独自の画境が展開していく。1987年「京都府文化賞」受賞。1997年、大阪府は国立国際美術館と共催で齋藤眞成展を開催し、これを機に齋藤眞成氏より絵画作品53点を収集した。
上前智祐(うえまえ ちゆう、1920〜2018)
京都府中郡奥大野村(現在の京丹後市)に生まれる。20歳までの青春期には、画家をめざしながらも神戸・横浜・東京で放浪生活を送る。舞鶴に戻り、改めて画家をめざし、「二紀展」に入選。その後、神戸に移住し、32歳のときに見た吉原治良のクレパス画に強い印象を受け、師事し指導を受ける。具体美術協会の結成時から1972年に解散するまで在籍する。派手なアクションを使った作風からは距離をおき、細かい点描を時間をかけて集積させた油彩画、マッチ棒やおがくずを塗料で塗り固めたマチエールによる絵画、布と糸を素材に丹念に運針を重ねた「縫い」の作品など、一貫して緻密な手作業による画面作りにこだわり続けた。1999年2月に大阪府立現代美術センターで回顧展を開催。これを機に、大阪府は上前智祐氏より作品61点を収集した。その後、2007年に再び同氏より版画作品187点の寄贈を受けた。